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葬送儀礼の様式について
■ 発生の起源
- 先史時代ネアンデルタール人の遺跡から遺体の傍らに祭祀の意義は解りませんが、 野の花が供えられていた痕跡が残っています。
これは何等かの葬送儀礼が執り行われたものでしょう。
日本に於いては、儒教の教え(先祖供養・墓参・死生観からお盆・彼岸・忌明け等)が多く取り入れられ 現在での習俗になっています、 インド仏教に於いては実践的教え(生老病死からの悩み)が主でした。 - 鳥葬
- 古代インド仏教より分かれたチベット仏教に於いて執り行われてきた習俗で 鳥に遺体を給餌することにおいて魂を天空へ運んでもらう考え。
- 風葬
- 鳥や獣に遺体を施す事により、功徳する考え。
平安時代から江戸時代までは非支配者層に於いて、執り行われてきた習俗でしたが、
明治時代以降は墓地条例(墓埋法)の施行により皆無です。
※ 沖縄県の一部区域に於いて、最近まで遺体を洞窟に安置し肉体の腐敗の後、 白骨化した遺骨を洗い清め改葬する習俗が存続しています。 - 火葬
- ヒンドゥー教に於いては荼毘(焼骨)後、聖なるガンジス河に流す習俗や仏教では、
釈迦・高僧において荼毘(焼骨)の後スッーパや仏塔を造立し顕彰されてきた習俗が、
日本に伝わり仏教の隆盛と共に高僧や支配者層に浸透し明治時代以降、
墓地条例(墓埋法)の施行により一般にも広まっていった。
※ 終戦後GHQの指令により、衛生面上から火葬が奨励され都道府県に於いて 90%以上が火葬の届けになっています。 - 土葬
- 縄文時代から執り行われていましたが、一部の支配者層のみで、平安時代中期から
○○絵詞に見受けられる様になる。
奈良時代儒教の伝来と共に伝わったが、
中国・朝鮮での生活習俗程には至らなかった。
※ 江戸時代幕府により寺檀家制度の制定後、寺と檀家関係維持の為、 両墓制が見られる様になり、地方によっては、村外れに三昧・ラントウ(埋め墓)、 寺境内に清墓(参り墓)を設けるようになった。 - 水葬
- 古代インド仏教・ヒンドゥー教に於いては、荼毘の後河に流す作法が執り行われていました。
※ 現在執り行われています、散骨は焼骨を粉砕の後公海上にて撒く行為は、この葬法の一種と考えられます。 - 樹木葬
- 儒教の葬法の一種、遺体を白骨化させる為、藁(わら)や茅(かや)に包み
樹木の枝に吊るして肉体と白骨の分離の手立てとして行われ、二次葬として安棲な吉地に改葬されていました。
若しくは土中に埋葬し改葬時の目印として樹木が植栽されました。
※ 現在執り行われています、樹木葬は焼骨を粉砕の後、所定の樹木の付近に散骨又は埋納されております。



